進藤冬華の滞在日記
路地について
2020年11月2日

私の滞在している場所は、常陸太田にある鯨ヶ丘の南側。丘の頂上には二本のメインの道があり、古い商店街になっているエリアだ。商店街はメインの道路の脇に割と整然と並んでいる。でも、一旦そこを離れると、丘の斜面に沿ってランダムに家が建っている。家々は計画的に立ち並んだのではなくて、その時々空いているところに場所を見つけて建ったかのように見える。それらの家々を必要に応じて繋いでいるのが細い路地なのかなと歩きながら感じている。

私は丘の路地を毎日のように歩いている。この滞在中、この丘にある路地を全部歩きたい。とても細い道、車も通れないような場所もたくさんある。上へ下へ、右へ左へ蛇のようにクネクネ曲がって、行き先を容易に予測させないし、その景色は目まぐるしく変わる。毎日知らなかった道が現れる。例えば誰かの家の横の隙間が路地だったり、地図にも載っていない道がある。路地が途切れても、畑や空き地の向こうに路地が繋がっていたり、路地を歩いてたら誰かの敷地を通り抜けることになったり、公とプライベートの区別も曖昧だ。歩くだけで本当にワクワクする。

でも、この丘で路地は役割をすでに終えようとしている。丘では空き家も多く人もあまり歩いてはいない。路地で人を見かけることは稀だ。空き家ができたり、空き地ができるとそのエリアの路地も消えていくのだろう。現在人々の日々の移動は車で、歩くことは少ない。昔は遊び場だった路地で遊ぶ子供たちもいない。歩いていると、人が通れなくなった路地にぶつかることがある。草が鬱蒼として、木が生い茂っている。斜面に、どこから登るかわからない階段だけが残っている場所もある。きっと昔はもっとたくさん路地があったのだろう。

過去に近所の交流の場、コミュニティーを繋ぐ場所だった路地。これらは5年10年の間にさらに少なくなって、丘にある建物とともに消えていくのかもしれない。暮らしの必然ではなくなった路地は誰かのために、何かのために残る理由がない。

でも歩いてるだけでワクワクするし、私は路地をもっともっと歩きたい。でもこの活動は、どこにも繋がっていかない、誰の役にも立たないかもしれない。そう考えると、なおさら路地を歩こうと思う。