進藤冬華の滞在日記
変な人の調節
2020年11月14日

この間、私と一緒に変装をして歩いてくれた人たちがいた。
驚いたのは、歩く人の体格や性別、多分歩き方とか人によって不審の度合いがかわることだ。
私より体の大きな男性が私と同じ格好をして歩き回ると、不審感が増して本当に周りの人は怖いと感じると思う。警察に通報する人がいても全然おかしくない感じだ。そういう意味で自分が男性ではない(小柄でいかつくない体型)ことで、街にわりと簡単に入り込めたんだと思う。実際、ここで私が活動することへの積極的な反発や警戒をまだ直接受けていない。逆に、小学生が同じ格好をしたら、変な格好をして遊んでいる子供のように見え、割と微笑ましいかもしれない。
人間の危険人物をキャッチする能力は多分とても繊細だ。理屈ではなく、瞬時に反応している気がする。私自身もそれを働かせて普段生活している。そして、人が私に対して警戒しているそぶりからもわかる。

この街に入って行くとき、どんな衣装にするか色々考えた。認識されたいけど、あまりおおっぴらじゃなく。だからある程度目立つけど、ハロウイン衣装のように自己主張は少なく、ちょっとだけ変な感じになるように調節したつもりだった。でもこの鯨ヶ丘では、異物感が思ったよりも強く出てしまう。例えば子供たちの反応は私に駆け寄ってくる、話しかけるなど徐々に激しくなってきている。一方以前、この変装で電車に乗り水戸まで行った。水戸の駅から降りて、街の中に歩き出すと、私は色々な人がいる街に溶け込んで、すぐに不審者ではなくなった。だから、場所が人の受容に影響することもわかった。ほどよい変な人になるためには、個々体型やどこでやるかという条件によって色々調節がある。

また一方で、私は変な人を「ふり」をして、子供達や街の人を騙している状況がある。そいういう意味でタチが悪く、倫理的にはダメかもしれない。もう一つ悪いのは、本当の変な人がいるという前提と共に「ふり」があることだ。これらは、私の今回の活動の根本を揺るがす。

※街の掲示板などに貼っているお便り6号と7号↓