進藤冬華の滞在日記
子供について
2020年11月19日

このプロジェクトで一番大きなリアクションをしたのは子供たちだった。打てば響くとはこういうことだ。
彼らは私の想定を上回る反応をした。だから私はどうしていいかわからなくなった。最後までどうしたらいいのかわからなかった。そして曖昧なまま、プロジェクトが終わった。

はじめ、私は子供達の通学時間を狙って出没した。彼らは、道路の向こうから私を見ているだけだったが、興味津々な態度だった。3回目に出没したら、もう学校の先生が確認しに来て、変な人がいると学校で話題になっている事をこちらのスタッフに話していた。先生は、子供が説明した通りの人物がいると言った。学校との直接のやり取りは以後なかった(たまに先生が様子を見にきていたのを見かけることはあったが)。そのうち子供から挨拶をしてきて、私のリアクションを試しているようだった。少し経つと、距離を置いてついて来る、そして質問したり、話しかけたりするようになった。さらに、見つけると駆け寄って来て、すぐ後ろをついて歩く、大笑いしたり、怖いと言ったり、叫び声をあげながら周りを囲む・・など好奇心と共に行動が何だかエスカレートしていく。特に下校中の彼らは、小さな集団でバラバラに帰ってきているのに、私を見つけると「今日は(変な人が路上に)いるよー」みたいに声をかけ合って、なぜか大きな集団になっていく。特にこの集団になっている時、私は戸惑った。集団になった子供達の間で、だれも制御しない興奮がどんどん高まり、最後に起こるかもしれない、事故や怪我などの危うい結末を予想させた。(そこに危機を感じ、私は子供達の前に出ることに消極的なった。)

その一方で、この異様な興奮のエネルギーに興味を惹かれる。何もないと思っていた場所から突然発生する小さな竜巻みたいな感じだ。何か考えて行為をしたら、こうやって反応が起こることを私ははじめて自覚した。こうした方法だと仕掛ける側のアドバンテージがあるように見えると誰かが言ったが、仕掛けて、子供達の返しに狼狽し、私は対処できずに終わってしまったから、ある意味子供達は無自覚にでも私の上をいったのではないかと思う。(でも今回のプロジェクトでは、街に対して仕掛けていくものだったから、子供との交流だけが目的なってしまうのも違うと思っていた。)

変な人が突然街に現れて、街をうろつき、ある日またいなくなる。このプロジェクトは、日常生活に、フィクションのように「変な人」が入り込み、よくわからないうちにいなくなることで、子供へ「変な人」のおとぎ話を提供したかのようにも見える。そのホンワカしたものは予期せず現れた状況で、私の本来の目的は街に現れる「変な人」を街が許容するかどうかを試すようなものだった。(私がホンワカした物語の提供を目論んでいたら、もっとあざとくなっていたかもしれない。)そう考えると、子供たちの過剰なリアクションよりも、多分心配しながらも、私と子供の関わりを見守った学校の態度は私の考えていた許容されるイメージに近い。しかし、これは学校に負荷をかけることであったとも思う。

学校では先生方や子供たちがどんな風にこのプロジェクトを見ていたのだろう。(その部分は私ではなく別の人が担当して、継続する可能性がでてきている。今後どうなるのか楽しみだ。)